4号機は平気なのか?

最近、関東及び東北で又放射線値があがっている。

なぜなのか?国や東電は終息宣言をし、安全をよそおっているが何かを隠している!
と思いませんか?

今たくさんの学者や外国の多くは4号機が大変危険だ!崩壊で半径250キロ
もし爆発したら700㌔圏は立ち入り禁止区域になると言っています。
250㌔は700㌔?関東及び北陸、東北は全部だめでしょう・・・

その可能性は0だと思いますか?僕は思いません・・
本当は0であって欲しい。でも現実は難しいでしょう。
そして震災直後からの国の対応等を見ているともう手が付けられないのではと思わずには
いられません。
今4号機は1535本の燃料棒が保管され、燃料プールが建屋の4~5階の高所にあり
余震が起これば倒壊、崩壊の危険がある。
と言われています。

今まで様々な事を隠し隠ぺいしてきた政府、放射性物質や農作物は大丈夫と言っていた
政府の言う事は何一つ信じられない。

今日本人の多くは終息宣言とマスコミに操作され騙されている状態。最近の地震でも
慣れてしまったのか何とも思わず、昨日の震度3~4でも平気な顔。
いつもよりちょっと揺れたな~位の感覚。

みんな全然4号機は気にせず平気な顔、大丈夫なの本当に?

みんなもっと危険意識を持とう!今現在も原発は動いている!
時限爆弾のタイマーは動いているんですよ!

もっと国民一人一人が危機感と危険意識を持ち、政府や東電に対し本当の情報公開を
訴えよう!

 

こんな専門家の意見もあります。
http://takedanet.com/2012/01/post_4e36.html
http://blogs.yahoo.co.jp/konan119269/33184069.html
http://blogs.yahoo.co.jp/ht_sue/29022207.html

こんなのも見つけました。どうなんでしょうかね?
http://blogs.yahoo.co.jp/costarica0012/22222381.html

想いは同じ

去年の事だがベルギーから映画監督のアランさんが南相馬市にやってきた。

福島の子供達が放射能の影響下でもどれだけ負けずに生活しているのかを世界に向けて
発信するドキュメンタリー映画を撮りたいということで、その撮影の準備のために
来日し、南相馬市には1週間弱の滞在となったのですが、縁あって僕が南相馬市内を
案内することとなりました。

来日前からスカイプを使って、ネット上で話を何度かして、かなり気さくで
気の合いそうな人だとは思っていました。

実際に会ってみると面白いほどに気が合い、考え方の会う素敵な人でした。

木や森が大好きで歴史や文化を大切にする、そんな人でした。
アランさんは、今の福島の子供達と自然歴史ある野馬追の文化、温かい人付き合いなど
南相馬にある大切なものが原発事故により失われてしまうのではと心配していました。
日本人は勤勉で我慢強い。その日本人が自然災害と原発事故を前にどう立ち向かって
行くのか自分の子供の事のように見守ってくれているようでした。

彼はチェルノブイリの事故の後、現地に入り、実際にそこでどんな事が起きたのか
ドキュメンタリーの映画を作っています。
放射能については普通の日本人よりも詳しい存在であるのは間違いないと思います。
現地を見てきた人だからこそ言える、放射能に対するいろんなアドバイスを僕に
くれました。

そして、本来ならば避難するべきである南相馬市の現状と、避難したくてもできない
子供達の現状を理解した上で、汚染地でも子供達が逞しく生きれるような提案、
子供達の笑顔を取り戻すための取り組みを僕と一緒になって、何時間も何日も
話したような気がします。

僕も福島県の子供達は避難するべきだと思っています。
だけど、それが出来ない事情もよくわかっています。
だからこそ、夏休みや冬休みを利用して放射線量の低い土地への合宿につれて行って
伸び伸びと遊ばせたいとも思っていますし、少しでも健康リスクを回避できるような
取り組みも行っていきたいと思っています。

遠く離れたところに住む、会ったばかりの友達ではあるが、想っていることは
まるで同じだったことにびっくりしたのと同時に、僕の考えていることは
間違いではなかったんだという確信を得ました。

本当に本当に不思議な縁・出会いでした。

今回は撮影準備という事で短い期間の滞在でしたが、今春には撮影の為に福島に
やってきます。
その時にもまた、同じ想いの友と尽きぬ話に花を咲かせられたらと願っています。

地平線会議

去年の話ですが、高田馬場に行ってきた。地平線会議たる団体の講演会に招待されたの
でした。

地平線会議とは環境と冒険を支援する会議で月に一回の定期報告会とウエブでの読者に
よる生業で活動をしている。

今回僕が呼ばれていったのは東日本大震災及び原発事故時の事と今の南相馬の現状を
伝えに言ったのである。

新宿区スポーツセンターの会議室で行われた今回の報告会では、30人ぐらいの
ギャラリーがいて、その前で南相馬市のいろいろな写真を見せた。
僕の他にバイクと犬を愛するフリーライターのTYさんとチェルノブイリのその後を追う
ジャーナリストのTJさんが登壇して3人で南相馬市や放射線の問題について
4時間話をした。

その後、場所を変えて食事会となった。
食事会には様々な面白い人や凄い人がやってきた。
特に縁をまたまた感じたのはKさんという僕が昔愛読していた本の著者をやっていた方にも
会えた事です。
この人の本を18歳の頃読みバイクで日本一周するきっかけを与えてくれた人です。
本や雑誌を通じてしか知らない、本人に会えた事は凄くうれしかったです。

しかしKさんの話がまた面白くただでは終わらないのです。
ギネス記録を持っているのですが、それは1年間に入った日本にある温泉の数で、
なんと3000回を楽に超えるそうです。
一日に平均すると最低10件は入らないといけない計算です。
ギネスに至るまでのドラマも大変面白いものがありました。

ある人が真剣な顔をして質問しました。「今までで一番記憶に残る温泉はどこですか?
どんなお風呂でしたか?」
kさんは考えに困っていましたが、突然口を開いて答えました!
その答えにみんな大爆笑です。
「混浴が一番良かった~」と!出てくる温泉は皆、混浴話!
飾り気のない格好のKさんの話は本当に飾り気の無い人柄を現す内容で大盛り上がりでした!

地平線会議には様々な人達が夢や物語やドラマを自分達で作り実践している人達が
沢山います。
そこに集まり集う人達は皆飾り気のない真の一流の人達ばかりです!

去年の今頃・・・

早いもので去年の1月9日に新あーす社屋の開所式を吹雪舞う中楽しくおこなったが
嘘の様です。
自慢の職員や理事、友人や利用者や保護者が大勢集まり寒い中餅つきをし、友人がお祝い
に太鼓の演奏をしてくれました。この日の為に東京や神奈川からツリーの友人が来てく
れたりもしました。
とても楽しくてそしてうれしくて僕も職員子供達もみんな期待と希望にワクワクしていま
した。今のこんな悲しい現実になるなんて誰も想像していませんでした。
あの大震災でもビクともせず水も電気もガスもすべて使えて本当に何でもなかったのに・・

目に見えない放射性物質の被害さえ無ければ・・今も悔しくてしょうがない。

山に囲まれ広い建物広い敷地、空はとてもきれいで青く、里山のツリーハウスや森林浴
畑や鶏や動物とのふれあいがある、素晴らしい施設だったのに・・・
5か月間しか子供達と使えなかった。

まだ今後は分からない。一日でも早く落ち着いて再開したい。

子供達の笑い声がなつかしいです。

 

 

 

 

マルモのおきて

恥ずかしながら、あの話題のドラマを見たことがなかったのですが、体調不良の為テレビ
を見る機会が出来たのです。
今までこんなにのんびりしたお正月をむかえた事がなかったので、しっかりと見ることにした。

そして、何故このドラマが大ヒットしたのがよくわかった。

今の現代には無い義理や人情があふれている。現代の子供や大人には無い純粋で素直な
心があふれている。

人間関係や社会を本当に考えさせてくれるドラマだと思う。

父母がいない事はかわいそうなのか?親がいない子供は不幸なのか?

血のつながりのない子供を友人がみる、そんな人情が有ってもいいじゃないか?と
思える良い番組だと本当におもう。

家族って何か?人情って?愛情って?かわいそうって?

笑いあり涙ありのこのドラマを見ていると心がほのぼのとしてくる。

辰年始動開始!

新年あけましておめでとうございます。皆様におかれましてはどのように激動の昨年
を過ごしましたか?

僕は何年かぶりに12月の中旬から喉をやられ年末には喉がパンパン
に腫れ苦しみ病院にかかってしまいました・・・参った参った。

早いもので9カ月間はあっという間に過ぎ何をどうしてきたかわからないくらいの充実感
のなさ、だらだらとした日々を過ごしてきた証拠だと思っています。

もう少しであの大震災、原発事故から一年がたってしまう。地域は復興に向け始動開始
したかもしれない、でも人々はまだまだ・・僕も再出発の方向がいまだに決まらない一人
です。

春に向け何とかスタートきりたい!
今一生懸命考えています。
もう少しお待ちください。

龍に乗り早く高く進めるよう準備しています!

 

生きる道

人それぞれ仕事や趣味など、日々の生活においてや人生観は違うと思うが、
俺にとっては働く事が、身体を使い動き続ける事が一番の趣味であり、仕事であり、生きがいだった。

毎日毎日朝から晩まで曜日も関係無く動き働いていた。

日々新しい発見と自分が作り出した形に満足していた。
雨の日も風の日も雪の日も毎日が大好きだった。

あの原発事故後そんな俺の生活は一変してしまった。

毎日が夢も希望も無く現実をどうするかばかり…。
確かに身体は楽になったかもしれない。しかし心は全然楽になっていない。
それどころか毎日毎日気分は悪くなるばかり。今までは明日につながる事がいっぱいで本当に幸せだった。
全国をまわって見ても美味しい物を食べても心からの満足は無い。
遊び何て知らなくてもいい!

そう、俺には心を動かす仕事さえあればいい。

俺は最後まで仕事だけは信念を貫きたい。

翼よもう一度…

いつからだろうこんなに動けない身体になってしまったのは。

動けない自分が情けなくなる。

自分自身が自分を動けなくそして醜くしてしまったのに、他人のせい、仕事のせい、
年齢のせいにして逃げてばかり後まわし、そんな自分がことごとく嫌になる。

自分にはまだまだ気力,体力があるはず!

取替えしたい、自由に野山を駆け巡りうごけた身体を…

出来る事なら負けたく無い。

今、施設もできず、山にも入れずまだまた先は見え無い。
しかし悔しくて仕方ない。

仕事も出来無く身体も動かない。
このままでは終われ無い。
負けたく無いしあきらめたくない。

いつか必ず近い内にみかえしてやりたい!

発明家

先日、栃木県那須の非電化工房の見学会にうちの怪しい職員sと行ってきた。

しかし、非電化工房は決して怪しい所ではなく、こじゃれた森の中にあった。
そこを主催する藤村靖幸さんは一見怪しいおじさんに見えるけど、実はとっても素敵な人だった。

見学会の話をする前に、非電化工房についても話しておこう。
非電化工房とは非電化冷蔵庫や非電化除湿機など様々な電気を使わない生活用品を研究・開発している所だ。
最近ではテレビやラジオ、雑誌などでも取り上げられることが多くなってきたので知っている人もいるかも知れません。

話を見学会に戻すと、最初に藤村さんの話から始まり、その後敷地内・室内にある非電化冷蔵庫やストローベイルハウスなど
数々の非電化製品をぐるっと見てまわった。
その後、藤村さんから発明の秘話や裏話などいろんな話を聴かせてもらった。

 

この非電化工房は製品が面白いのもあるけれど、僕が一番興味を持ったのはは藤村さん本人の話や考え方だ。
「いいことしかやらない」「いい人しか買わない」「客をつなぐ仕事」「ぬくもりある人間関係」
「奪い合いではなく分かち合い」「そこにあるもので作る」「金をかけない」
「電気のある生活は否定しない必要以上に使わないようにしましょう」

など僕の心をくすぐる様な言葉を連発しその言葉全てにドラマがある!
話を聞いていてうれしくなってしまいました。

原発事故後、ずっと悩み考えていました。もちろん今も考えなやんでいます。
しかし藤村さんの話を聞いた事でこれからの人生をどう進むべきかが少し見えたような気がしました。

 

どうなの?

いよいよ12月になってしまい後もう少しで今年も終わってしまいます。
雪が降り始めまた冬がやってきました・・・

そんななか僕には疑問に思う事や誰かに本当の事をはっきりと教えて欲しいと思う気持ちでいっぱいです。

まず今のこの原発や放射能物質の問題。
本当に平気なのか駄目なのか?命に何の影響は本当にないのか?人は住んで良いのか・悪いのか?
原発終息はいつなのか・本当にその間何事もないのか・・・

これからの福島県はどうなるのか?南相馬市はどうなるのか・・・

東電はどこまで補償をしてくれるのか?全てを震災前に戻してくれとは言わない。
しかし少なくても今までの楽しい仕事や生活を返して欲しい!