凄い距離だね!

久しぶりの更新です。サボっていた訳では有りません、ちゃんと仕事をしてました。新潟から夜に帰りその翌日仙台から電車で北海道入りしふくしまキッズの実行委員長代理で七飯町町長さんに表敬訪問そして大沼公園、及び寶琳寺下見、その日のうちに車で4時間かけ札幌に、翌日は札幌で会議、宿泊し又翌日に千歳空港より仙台に戻ってきました。その翌日10日に福島、郡山での説明会に参加し夜中に鹿島に戻り、ツリークライミングの講習会の準備をし山形県鶴岡市に行き今日帰ってきました。慌ただしい日々でした。

しかし!自分だけでは無いのです。ふくしまキッズの実行委員会のみんな忙しく、そしてハードな生活を送っています。みんな自分達の本業があるのに福島の子供たちの為に頑張ってくれているのです!本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

今日は郡山に行きます。そして明日14日はあーすにて説明会。翌日は宮城県鳴子に行き。16日は群馬県佐野市に行きその後埼玉の実家にかわいい僕の犬を預けに行き、18日に鮫川村にて進士さん三瓶さんと合流、19日にはマイクロバスにて北海道に一足お先に出発です。

新潟出張

しばらくぶりの更新です、日曜日の晩から今日まで新潟の秋葉区に行っていました。新潟にはツリークライミングの仲間で植木屋の若社長の淳さんがいます。彼は植木屋の2代目ですが、地域の為、子供達の為と色々な活動をしています。最近は森のようちえんを開設し園長たるものをしたりもしています。

初めてツリークライミングのイベントそれも東京で会ったときもとても気さくで同じラグビー経験者という事でとても親近感があり、その後も連絡を取りあい南相馬市のチャレンジャーのキャンプや宇都宮でのイベント等にも時間を惜しまず来てくれました。僕も講習会や体験会等で新潟にも行きましたがいつも歓迎してくれます。ありがたいことです。

彼は僕に無いすばらしい運を持ち、地域のみんなに愛されてる人物なのですが、うらやましいくらい嫌味や悪の無いいい男です。その彼が僕を兄貴分のようにしたってくれるのがとてもうれしいのです。

仕事の事をいつも話すたび、何かしら出来る事は協力してやろう、と思うものです。今回の福島の震災、に対して多くの友達と同じ様に心配をしてくれ、僕の仕事も心配してくれています。

僕には弟がいない為一緒に仕事ができ、同じ志で話ができる事は僕にとってもうれしいものです。

毎回本人を前にしては、なかなか言えないですが、兄貴分としたってくれる事は本当にうれしいです。これからも一緒に仕事をしたり話あったり出来ると良いとおもっています。

これから先も今の淳さんで行って欲しい。がんばれ淳さん!植木屋も森のようちえんも協力は惜しまないよ!

本当にどうするのか!

近頃気になっている事の一つなのですが、我があーすの元職員で所在不明の者がいます。生きてはいるようです、見かけたとの情報もあります。話をしたという情報もあります。

我があーすは開店休業中、職員も仕方なく解雇です。どこに行こうと何をしようと勝手です。でもみんな一緒に仕事をしてきた仲間だと思っています。

しかし何処で何をしているのか?これからどうするのか?等が気になる時が有ります。勿論何も頼んでもいないし強制もしていません。みんな自由なのですから・・・

今あーす再開の事、地球屋復活の方法を毎日模索しています。一緒に今後も仕事をしたいと言う人には会社も一生懸命考えます。

他所で生活します。他所の会社にいきます。と言う人にはがんばってくださいと話します。

でも、何も無い人には何も言えません。

命を守れ!

今日のニュースで、福島の子供10人の尿検査で8歳と6歳の子供からセシウムが検出!と出ていた。恐れていた事そして誰しもが予想していた事。素人でも誰でもいつかは何かしらの身体から出るだろうと言っていた。内部被爆は絶対ありえると!!

それなのに今の所は影響ない。ただちに健康被害は出ない、とか言ってる。そんなに平気なのなら自分の子供でも孫でも連れて来い!と言いたい。

役人は何と考えているのか・・・まだまだホットスポット問題、原発収束の見通し立たず、土壌汚染等が有るのに、国も市も県も経済や自分の事ばかり。どうして人の命や安全を一番に考える事が出来ないのか・・本当に馬鹿ばかり。

パニックや非難場所不足なんてなんとでもなるよ。福島県は命は経済の次なのが丸見え・・困ってしまいます。

子供達は明日の希望なのに、未来の福島や日本の宝なのに・・ありえないです。

これから先何と言うのでしょうか?福島県の子供や大人から健康被害が出たとき。又他人に責任を押し付け自分は関係無いとかやっぱりとか俺は言ったのにとか言うんでしょうね。

そんな人達には全員浪江でも双葉にでも飯舘にでも住んで欲しい。自分達の子供や孫を住ませて学校や保育園に行かせればいい。

もともと国は年間1ミリ以下なのに、原発作業員でさえ5ミリなのに・・福島県の知事や議員も南相馬市の市長も議員もおかしい!

今後責任をちゃんと東電や国だけでなく、市長や知事、議員にも取って欲しい。いつも偉そうにしてふざけるな!と言いたい。

新しい作物?

今毎日相馬にいます。海からは三キロ位離れているのではと思います。毎日流木を3人組で切、そろえ運び出すという作業をしています。主に元田んぼだったところの片付け作業です。

田や畑の跡地には水がたまり、ごみが散乱しヘドロのにおいが充満するほどです。

しかし生物の生命力は凄いです。詰まった用水や汚れた川にも魚がいっぱい泳いでいます。

そして、田んぼの後地にも無数の穴が・・何かが動き、水が動いています。その穴の数は数え切れないくらいです。

何かは動いてはいます!達磨さんが転んだの要領でパッと振り返って見るとそこには大量のカニが??何故?どうして?こんなところに?

簡単な事です。津波が運んできたのです。カニを瓦礫や砂と一緒に。新しい住処として定着していたのです。もの凄い数のカニまるで育てているようです。

通りすがりのおじさんに聞いてみました、このカニは食べられるのか?おいしいのか?

おじさんは言いました。つまみに揚げて食べると美味しかった!でも放射能で食べれないよって・・震災前は取って食べたのに、食べれたのにって・・

沢山のカニの動きに驚きと楽しさを見付けたと思ったのに最後に今のつらい現実にもどってしまいました。

津波に寄る被害相馬市

相馬市はやはり港があった事から、大きな船がいっぱい散乱しています。松川浦は見る影も無く、海岸線は無残になり海水浴場も全て駄目になりました。岩の子は田んぼの方にまで海水が来ておりバイパスから海を見ると一部大きな湾の様に見えます。地盤沈下をしているそうです。

相馬は相双地域唯一の海産物や夏休みの観光の名所であった所でしたが、元に戻る事が出来るようになるのは本当にいつなのか・・と思います。

子供達が行った潮干狩り、サッカー場、宿泊体験の相馬自然の家はもう使えません。消防で初めて乗り釣りに出た船も置き場もありませんでした。

磯辺の集落も一軒もありません。我が地球屋のお客さんの家もありました、増改築をし、小さな子供もいました。流されてしまいました・・悲しい事です。

今相馬の現場ではアルバムやらが出てくる事がありますが、写真は水で流れ何も分かりません。ヌイグルミや玩具等が壊れて出て来るとそこに住んでいた人達の事を考えてしまいます。

相馬を見ると一番気になるのは今また津波が来たらと、これからしけが来たらもっと水かさが増え今住んでる人達が又災害に会うのではと思いました。

どの地域も津波の被害は恐ろしいほど、その現状を前に何時、何年後にこの残骸はと・・何度、みんなと話しても毎回答えは一緒です。誰もわかんね~なでした。

気になった事・・

今日演奏会会場で、有るお母さんがいました。年の頃は僕(42歳)の母親位かな?と思います。その人は歩く姿も軽快です。耳も遠くありません。非難所では年配な事と衣類もこんな時期だからこそ少し地味なだけです。しかしながら避難生活を始めてから悩んでいて、とても気にしている事があったのです。

それは、みんなが自分の事を年寄り扱いをし、あまりにもいたわってくれる事なのです。震災前は、奥さんや姓で呼ばれていたのに急におばあちゃん、おばあさん、と言われ自分はそんなに老けて見えるのか?年寄りくさいのか?と気になっているとの事でした。みんな震災にあうまでは自宅で花を植え家庭菜園や近所と仲良く付き合い自分の好きな服を着て生活をしていたはずです。

こんなときだからそんな事も出来ずに生活しているのです。思いやりの難しさを感じました。また非難所や被災をした人の気持ちを知りました。女性に限らず男性にも同じような事はあるのだと思いました。僕達も被災している県民として心無い言葉に苦しむ事もあります。

それと同じように同じ地域の中でも思いやりや相手を本当の意味でいたわる事を勉強したような気がしました。

日本フィルありがとう!

昨日は鹿島保険センター、今日は原町第二中学校、原町道の駅、原町第一小学校と避難生活所等を回りすばらしい演奏を聴かせてくれました。

昨日今日と天気は悪く雨。東京から新幹線で福島まで来てくれました。音楽家にとって楽器はとても大切な物です。楽器は木で出来ている為、取り扱いや湿気等には特にデリケートな物です。本来なら車で東京まで行き迎えに行くような事を今回被災地の為にと来てくれました。

ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロの音色はすばらしく日頃聴くことが中々出来ない音色でした。

保険センターや原町第二中学校では湿気が多く音が思うように出ない中演奏をしてくださいました。道の駅ではホールの中だったので本来の音までは行かないもののすばらしい音色でした。

原町第一小学校ではまさに非難者がダンボールで仕切りをつくり生活をしている場所で、非難者の了解を得て演奏をしてもらいましたが、それまでの避難所とは違い生活感がある中での演奏だったので心なしか同じ曲の演奏でありながらとても寂しい曲に聞こえました。日本フィルの皆さんに南相馬の被災の現状、避難所の現実をしってもらいその中での演奏だっただけに楽器を通じて演奏者の想いが出たのかな・・・と感じました。

本当に移動時間が観客も少なく環境も悪い中本当にありがとうございました。

これからも福島県や被災地の人達にすばらしい音色を聴かせてつかの間の癒しを与えてください。

また南相馬市がいつか自由に出入りが出来、子供達が伸び伸びと生活が出来るようになったあかつきには、これからを担う子供達に音楽のすばらしさ、そして色々な話をする機会を作って夢を与えてください。

またお会いできる事を楽しみにしています。市民を代表してありがとうございました。

日本フィル来る!

今日はあいにくの天気でしたが、被災地支援で日本フィルのメンバー5人アテンド1名演奏者4名が電車に乗り来てくれました。鹿島区保健センターで綺麗な音色で弦楽4重奏団で普段まじかで聞く事の出来ない生演奏を聴かせてもらいました。

明日は原町第二中学校、その後は原町道の駅にて演奏会をする事になっています。楽しみです。

福島県内では会津、二本松、三春に続く4箇所目になるそうです。

メンバーには演奏会の後相馬から原町までの津波による被害地を見て貰い、また原発による被害に関しても説明その当時の街の様子などを説明しました。

みんな現状の悲惨さに声を失い、また放射能による被害の大きさ、他の県や他地域との災害の違いをわかって頂きました。

津波による被害鹿島区

鹿島は6号線小島田地区からみちのく球場、そして屋形地区を現在も一名が残り作業をしています。

小島田地区には真野小学校があり国道6号線も近くに走っています。学校の側には沢山の船が上がり今現時もまだあります。海までは役4キロ有ると思います。

津波の威力をまざまと感じるところです。

鹿島地区では地形的な事なのか津波の被害が隣り合わせの家や田畑でも全然違うところが多々あります。津波の水の動きは予測が出来ませんね。

やはり海の堤防は損傷でまだまだ水が今まで集落だったところまで来ています。鹿島地区にも通れなくなった道が沢山あります。

小高や原町区よりも津波による被害にあった家のイグネの枯れが多いような気がします。枯れが入り赤くなってきている木が多いです。海水が長い時間停滞していたのかも知れません。