大先輩の話「Hさん編」
今から20年ぐらい前の話だ。
ちょうど今の僕と同じぐらいの年のHさんと出会った。
そもそもHさんとの出会いがなければ、僕は山の仕事はしていなかった。
Hさんは僕に林業に進むきっかけをつくってくれた人だ。
最初にHさんと行った初めての仕事は春の植え付け作業でした。
夏の下刈り作業はキツク危ないから、植え付けから始めて体を慣らそうという親心が
あったようです。本当のところはまぁ一番足手まといにならない仕事だったのではと思います。
一番最初に行った時には僕はほとんど何もできず、Hさんについて歩くだけだった。
熱くそして何をして良いかわからず何も出来ずに終わりました。結果的には足を引っ張って
いただけでした。
急斜面でもひょいひょいとカモシカのように歩いて行くその姿に、僕とは体の作りが違うと
思ったくらいだった。
自分の体力が通用すると思っていたのが、全く通用せず、これは自分には出来ない仕事だと
思った。ただ、その仕事をするしか当時の僕は生活の糧を得る方法がなかった。
その後夏の下刈り作業の季節になった、7月から始まる下刈り作業は熱い時間をさけ涼しく体に
楽な涼しい時間をという事で朝の4時から始まって8時まで4時間仕事をする。
8時から1時間朝食休憩をとって、そのあと4時間仕事をして13時に仕事が終わる。
山に4時に行くから3時半には出ないと行けない。
きつかった。
山の仕事が嫌で嫌で、行きたくないと何度も思った。
雨の日は体も楽だし草もよく切れるから?の理由で余程でない限り仕事だった。
夏は「水を飲むな」「体をもっと動かせ」「今日より明日はより早く動け」
「仕事が一人前になるまで屁理屈を語るな!」「草刈機を持つ格好が悪い」という指令が出たり、
「ギナ」だのなんだのと言われっぱなしだった。下刈り作業のきつさと早起きと言われる事の
きつさに根をあげて、1か月ぐらい休んで連絡もしない事もあった。
自分にはもっと適した違う仕事があると思っていた。
そんな時にHさんは「1週間だけでも仕事に来ないか?」とか
「1日だけでも仕事に来ないか?」
とか誘い続けてくれた。
少し心がほぐれた僕は段々と仕事に出るようになった。
仕事以外で会う時は優しかった。
今、思えばいろんな事がありました。
雨の日のほうが体が涼しいから楽だと言われて、例え大雨の日でも作業しました。
昼食はカッパを着たまま(とは言っても下は降ろす)軽トラックの中でおにぎりを
食べたのを思い出します。
若かった僕はいつかHさんを抜いてやろうと頑張ってきましたが、一度も勝てた事は
ありませんでした。
今思うと、若い僕を育てるために労力をかけてくれたHさんの心遣いがわかります。
20年経ってあの時のHさんと同じ年になり、今度は僕が若い人を育てる番に
なったことを痛切に感じています。
ブログ(HP)拝見しました。
上条さんと施設の震災後の状況が気になっていましたが、時間のあるときに今までの経緯を見せていただきます。
もうすぐ震災・原発事故から1年ですが、長い長い1年だったことと思います。
自分自身や家族には直接の被害はなかったですが、被害にあわれた皆さんと比べてなんと幸せで恵まれていたことかと痛感しています。
上条さんがHさんとともに仕事をしていたときのように、自分とっては今が苦労して頑張って成長する時だと思っています。
自分も今一度心を改め直して頑張ります。
ありがとうございました。