Articles from 2月 2012



大先輩の話「Hさん編」

今から20年ぐらい前の話だ。
ちょうど今の僕と同じぐらいの年のHさんと出会った。
そもそもHさんとの出会いがなければ、僕は山の仕事はしていなかった。

Hさんは僕に林業に進むきっかけをつくってくれた人だ。
最初にHさんと行った初めての仕事は春の植え付け作業でした。
夏の下刈り作業はキツク危ないから、植え付けから始めて体を慣らそうという親心が
あったようです。本当のところはまぁ一番足手まといにならない仕事だったのではと思います。

一番最初に行った時には僕はほとんど何もできず、Hさんについて歩くだけだった。
熱くそして何をして良いかわからず何も出来ずに終わりました。結果的には足を引っ張って
いただけでした。
急斜面でもひょいひょいとカモシカのように歩いて行くその姿に、僕とは体の作りが違うと
思ったくらいだった。

自分の体力が通用すると思っていたのが、全く通用せず、これは自分には出来ない仕事だと
思った。ただ、その仕事をするしか当時の僕は生活の糧を得る方法がなかった。
その後夏の下刈り作業の季節になった、7月から始まる下刈り作業は熱い時間をさけ涼しく体に
楽な涼しい時間をという事で朝の4時から始まって8時まで4時間仕事をする。
8時から1時間朝食休憩をとって、そのあと4時間仕事をして13時に仕事が終わる。
山に4時に行くから3時半には出ないと行けない。
きつかった。
山の仕事が嫌で嫌で、行きたくないと何度も思った。
雨の日は体も楽だし草もよく切れるから?の理由で余程でない限り仕事だった。

夏は「水を飲むな」「体をもっと動かせ」「今日より明日はより早く動け」
「仕事が一人前になるまで屁理屈を語るな!」「草刈機を持つ格好が悪い」という指令が出たり、
「ギナ」だのなんだのと言われっぱなしだった。下刈り作業のきつさと早起きと言われる事の
きつさに根をあげて、1か月ぐらい休んで連絡もしない事もあった。
自分にはもっと適した違う仕事があると思っていた。

そんな時にHさんは「1週間だけでも仕事に来ないか?」とか
「1日だけでも仕事に来ないか?」
とか誘い続けてくれた。
少し心がほぐれた僕は段々と仕事に出るようになった。
仕事以外で会う時は優しかった。

今、思えばいろんな事がありました。
雨の日のほうが体が涼しいから楽だと言われて、例え大雨の日でも作業しました。
昼食はカッパを着たまま(とは言っても下は降ろす)軽トラックの中でおにぎりを
食べたのを思い出します。

若かった僕はいつかHさんを抜いてやろうと頑張ってきましたが、一度も勝てた事は
ありませんでした。

今思うと、若い僕を育てるために労力をかけてくれたHさんの心遣いがわかります。

20年経ってあの時のHさんと同じ年になり、今度は僕が若い人を育てる番に
なったことを痛切に感じています。

大先輩の話「Mさん編」

年配の人や職人の人の話を聞くことが大好きである。
約20年前に福島県に埼玉県から縁がありやってきました。

その中で様々な人と話をしたり、一緒に仕事したりしました。
叱咤激励もあり褒められたり泣かされたり、考えさせられたりしながらきました。

何も地方の事は知らず埼玉から出てきて、最初は本当に大変でした・・

Mさんは200名を超す人を雇とっている会社の社長です。

Mさんは朝5時には会社に来て真っ暗になるまで会社にいる人でした。
仕事以外にも趣味が多彩で、花や庭作りがが大好きで沢山の蘭や花を趣味でしていました。

人の何倍も働き人の倍考える、効率、能率を常に仕事に生かしている人でした。

最初の頃僕も若く何もわからない、出来ない若造でした。

あるとき日曜日で仕事を休み車を洗車をしていると突然注意をされました・・・
「仕事はいくらでもあるのにこんな天気の良い日に何故仕事をしない!
車を洗ってる余裕はない!日曜祭日は休みとはだれが決めたんだ?」
「今働かないでいつ働く!遊びは年を取ってからでもできる!仕事は若いうちしかできない!」
「男の価値は何でもできて稼げる事だ!」
「日中しかできない仕事は日中に、人付き合いは夜にしろ!明るいうちは体を使え!」
「他人と同じではいつまでたっても他人と同じ、良くもなれないし勝てないぞ!」
「若いうちは休むな!無理がきく若いうちに体と頭を使え!」
「何でも無理だできないと言うな!」
などと会うたびに言われました。

こんな話がありました。
「何か一つをやるにしても他人に何でも頼むな。」

この意味ってわかりますか?

もしも部屋にコンセントを取り付ける必要があって、それを自分は出来ないからと
工事人に頼めば1万円の出費となる。
しかし、自分でやろうとすれば、道具代が千円かかっても出費はそれだけで済む。
もしもそれが成功しなくても、「道具」と「それに取り組んだ経験」は残る。
だから、なんでも簡単に人にお願いしてしまうのは損なんだよという意味です。

「自分がやりもしない内にできないと決めるな。」
「宇宙にロケットが行く時代なんだから、出来ないなんて言うな。」
「若いうちから『疲れた』と言うな。」
Mさんからは色々と言われました。

すぐに理解できたことばかりではありませんが、今思うと全て納得の行く事ばかりで、
Mさんの教えてくれたことは僕の礎となっています。

 

今後を考える

今、毎日今後の法人としての生き残り方を考えつつあーすの再演の為にはどうしたらよいかを、
毎日毎日作業や施設内清掃、書類整理や写真整理など様々なことをしながら考えています。

その中でも写真整理をする事子供たちの事を考える事がが一番悲しく辛いです・・・

写真の中の子供達やスタッフはとても良い笑顔で映っています!

毎日子供達は笑いや笑顔にあふれ元気に未来の自分に向け進んでいました。
あーすでは本当に様々な事をしてきました。

みんなで一緒のご飯をきそって食べ、馬に乗り、散歩に行き、森や自然にひたしみ、
バスでドライブに行ったこと・・・
どれも本当に昔のことのようです。

4月から新しい児童デイの基準になります。詳しくはまだ理解していませんが、時代が逆行した
のでは?本当にそれが望む支援につながるのか?がわかりません。

 

 

いい加減にしろ!

今日東電補償担当者から電話があった。
とてもショックで信じられない連絡だった・・・

前日に話した一時避難としての施設移転費用は全て出せない。
避難区域ではないし、避難区域が解除になったので払えない、原発被害により営業が
できてない事は認めるので請求書にそって逸失利益等は保証するが、移転費用、改装費、家賃
等は保証できない。
というのです。

え?なんですか?

井戸水からも置いてあるマキからも、空気中も土壌もすべてからセシウムが出てるのに?
まだ除染もどこもしてないのに?
前回福島で社会福祉協議会開催で大勢の事業者の前で、避難事業所の一時避難時の施設移転
費用は全額みます、みなさんに以前の生活が戻るまで保証はします。はウソか!
と言いました!

すこしでも早く仕事がしたいだけなのに、自主再建に向け動き出したいだけなのに・・
除染もはっきりした内容はわからず、原発による被害もどんどん広がってるのにありえない!
避難区域が解除になったら20キロ圏内の人達にも同じこと言うのか!
市民で自主避難している人達も同じ事か!
人の命を何だと思ってるんだ!
俺に子供たちの健康とひきかえに仕事を再開しろ!っていうことか!
そんなことは絶対にしない!
今に見てろそんな訳にはいかないから!

俺は負けない!納得しない!同意書にもハンコは押さない!
と言い電話を切りました。