Articles from 11月 2011



やめてほしい

原発事故以来南相馬市は様々な事で話題になっている。その中でも自然エネルギー推進事業
や除染活動に関しては特に多くの地域外の人達がたくさんのアイディアや企画をもってくる。
ボランティアや有料など動機は様々だ。

休耕田にソーラーパネル、汚染された畑にもソーラーパネルを設置し家庭の屋根にもパネル
を置き発電、山には風力発電の風車を設置し発電、流木やがれき木材売れなくなった木材
もチップにして火力発電。
南相馬から電力の見直し原発反対見直しをしましょう!なんてしまつ。
おいおいいい加減にしてほしい。

南相馬市を工業地帯に勝手にしないでほしい!

除染活動に関しては様々な知識を持った団体が勝手にバラバラに洗い始め、まき散らし
土壌を汚染し、川に流し海を汚染する。
そのうち汚染土壌の不法投棄も現れるのではと心配でならない。

家や街を除染し洗い流しても森や山に放射性物質が蓄積している限り、空気中や街の
放射線値は下がらない。地域に安心して住むためには森や山の木を伐り、表土を剥ぎ取り
運び出す、そしてまた木を植えるしかない。と真剣に訴える大学教授がいる。

無理でしょう?理屈や机上ではできても・・
幾らかかるのですか?何年かかるのですか?
原発はその間に何もないのですか?
問題がありすぎです。

南相馬市はきれいでのどかないいところです。
山は鳥が鳴き彩がとてもきれいで、海はおいしい魚が釣れ夏は海水浴ができ、
田では美味しいお米ができ、畑では様々な野菜や果物ができる。
その景色が電力や除染の名のもとに代わる事は考えたくもない。

僕はその田園風景が地域が良くて住んできました。今もその気持ちは変わりません。
しかし毎日見てきた素晴らしい景色が破壊されかわる事はどんなに辛い事か・・・

地域を大切に未来に残す事は安全の為に環境を変えてまで住み続ける事ではないと思う。
未来の為にも手つかずの自然を残す事だと思う。
田園風景を残す事だと思う。

今は住めなくてもいつかは住める。
子供達の命の為に故郷を変えてしまわないような決断や考えを市や県、国は考えて欲しい

その事だけをいつも考えています。

安心していいのか?

東電や国は原発事故後様々な嘘や隠し事沢山してきた。そんななか緊急時避難区域が解除に
なり学校や保育所等様々な事業が始まり地域再建に向け動ごきだすということは良い事だと
思う、しかしそれで安心してしまってよいのだろうか?疑問にてならない。
福島原発は微量ながらも現在も放射性物質を出しつづけ、廃炉まで35年かかると今頃に
なって数字をだし、いまだに情報は事後報告。
セシウムマップやら汚染土壌マップたるものまであると言う噂。
そのうち出てくるのではと思っていますが・・
そんななかのんびり安心して生活していていいのだろうか?もっと声を大にして言わなけれ
いけない事があるのではと思う。
最近やっとテレビやニュースでも原発事故は天災でなく人災。操作ミス等が取り上げ
られているが東電だけではなく当時の内閣にも特に総理に問題があったと思うが・・・
代わってしまえば関係ないかの様な今の政治家には何の期待もありません。

信じれるのは自分達だけ!最後は自分しかない!
もっともっと未来の自分や子供達の事を考えよう!

苗場にいったぞ!

先日ツリークライミングの体験依頼により新潟県苗場フジロックの森に行って来ました。

湯沢インターを降り、苗場までの道はとても素晴らしく外国にいるような景色でした!

今回の依頼は新潟の友人が受けたものでしたが、フジロックの森に福島県の人が書いた
メッセージボードが有るという事で僕が行く事になりました。

そこには素晴らしい景色の中にカラフルなボードの道ができていました!
ボードには様々なメッセージが書かれており、福島の人たちの思いを感じ取ることが出来
ました。
また偶然の一枚を発見しました!南相馬の字が書いてあったのです!多くは福島と書いて
あるのに一枚だけ南相馬と!!
地域を思う気持ちを強く感じました。

その後地元苗場の小学生達にツリークライミングを楽しんでもらいました。
帰り足に苗場が誇る素晴らしい景色を見える乗りものに乗りました。

その名もドラゴンドラ!!片道20分の山を越え谷を越え川を越える素晴らしい景色と
スリルを味わえる凄い乗り物でした!!
途中、河川敷のグランドに複数の人影が・・・

たくさんで運動会をしています、夕方なのに?
人では無くサルでした!

苗場にもたくさんいるらしいです。

かんたんに言うな!! <ブラック軍団のこと>

東電は精神的被害を補償しますというけれど、一緒に住みたくて飼った僕のワンちゃんたち。
今は色々な所を駆け回っている僕の生活では連れていけないので、実家にあずかってもらい、
離れ離れの生活を送っています。

1月20日の晩に子犬が4匹生まれました。
送迎から帰ってくると1匹はもう生まれていましたが、ぐったりしていました。
もう冷たくなっていて、温めても間に合わず死産となりました。
その後出てくる子供達はどうにかこの手で1匹1匹取り上げて、3兄妹が誕生しました。
最初に生かすことができなかった子のためにも、どうにかこの3匹は僕が守りたいと
心に誓ったものです。

成長の悪い子には僕がお母さん代わりに哺乳瓶でおっぱいをあげていました。
毎晩一緒に寝ていましたし、ご飯も1回ごとに測ってあげていました。
弱い子からご飯を奪おうとする子供同士のけんかの仲裁もよくしました。

散歩に連れて行くと遠くにいても名前を呼べば、すぐに僕のところに一目散に駆けつけて、
愛らしい姿で転がり回っていました。
僕がボスであることもよくわかっていたようです。

今は埼玉県の実家で、ご飯をあげるのも散歩をするのも親父の役目。
先日久々に実家に戻った時に、ブラック軍団は僕の所に駆け寄ってくるものと思いきや、
真っ先に駆け寄ったのは親父の所・・・・。
正直ショックでした。
今のボスが誰なのか、もう刷り込みが終わっていたようです。

僕が一緒に住みたくて飼ったのに・・・・。

東電の事故さえなければ、今頃は一緒に住んでいたハズ。

他にもペットと会えない生活を送っている人はたくさんいると思う。
20キロ圏内にはまだまだ多くのペットが取り残されているんだとか・・・。
中にはペットの生死すら確かめられていない人もいるだろう。
簡単に犬はペットだと言う人もいるけれど、立派な家族の一員です!
人によってはそれ以上なのです!

この想いは誰にぶつければいいの?
東電さん、キチンと受け止めることが事ができますか?

 

 

 

大切なのは命だよね?

今の国や県の姿勢は全然納得がいきません。
人の命をどう考えているのでしょうか?

ある人はこう言っています。
「今、福島県の子供達に必要なのは教育です。きちんとした教育が受けられない子供達が
かわいそうだ。すぐに学校を再開させて授業をうけさせるべきだ。」

またある人達はこう言っています。
「少しでも、早く南相馬しを再建するためには市民に戻ってきて見らうことが必要だ」

またある人はこうも言っています。
「国は年間20ミリ、避難区域は30㌔だったからそれ以外は大丈夫問題はない」

おいおいおい・・・。
その前にもっと大事なものがあると思います。
僕が子供のころ教わった事は「大切なのは命と健康」です。
それは決してお金では買えないと。

教育は子供の健康が確保されてからの話でしょう。
福島県産の食べ物の安全性を証明するために学校給食に福島県産材を取り入れたり、
学校だけを除染して一番過ごす時間が長い家庭の除染に力を入れていなかったり、
本当に子供達の健康の事を考えているのか疑いたくなります。
南相馬市原町区でも10月から学校が再開になりました。
今はもう安全になったの?原発はもう大丈夫なの?放射線量は下がったんだっけ?
学校再開に反対する声すら聞こえてきません。

数日前に新聞やテレビをにぎわせた、原発再臨界事件!
日本国民全部があわてる様子もなく通常の生活を送り何でもないような反応・・

よく考えてください。今現在原発は終息してないですよ!

僕はこう話しています。原発と名の付く時限爆弾は勝手に動き出す、いつどうなるか
わからない事を国や東電が認めてる!

自分達の事です。よその国じゃないんですよ!

もっとみんな強い意識を持ちましょう!

 

かんたんに言うな!! <子供達のこと>

東電は精神的被害を補償します、とか簡単に言うけれどその一言ではすまして欲しくない!

避難や、屋内退避、生活に関する不便さだけでない本当の精神的被害が子供達には
あるでしょう!
親としての精神的被害をどう考えてるのか!
そこを声を大にして言いたい!

大人は東電に対し意見は言える、でも子供達は親にも言えず東電にも言えず良く理解が
出来ていないまま現実を受け入れ生活をしています。
親として何が一番つらいか!子供達に自分の本当にしたい事をさせてあげれない事は
何よりもつらい!
いまだにどうしたら良いのか悩みます。

僕には3人の子供がいます。長男は高校2年生、二男は中学3年生、長女は小学6年生です。
長男は地元の高校に通い小学校よりサッカーを続け高校でもしています。

二男も地元の中学に通いサッカーをずつとしていましたが今現在の避難先にはサッカー部
は無く仕方無く違う部に短期間のみ入りました。

長女は4才からクラッシクバレエ教室に通いピアノやスイミング、学校では金管部に入り
毎日生活をしていました。

子供達は常に次の目標に向け友人や指導者と共に頑張っていました。

僕達がそうであったかのように子供達も一番の楽しみ生きがいがあったのです。

親は子供達の成長に期待をしその毎日の成果や様子を見るのが楽しみだった!

その事はどこの家庭も必ず一緒だったはず!
長男は避難当時から避難をしない友人たちと連絡を取り合い、南相馬市の情報のやり取りをし、
緊急時避難区域外での学校再開に合わせ避難先の鳴子より帰宅、避難先ではあれほどごねていたのに
今では義妹宅に身を置きながら毎日楽しく生活をしています。

二男は避難先に幼なじみがいたためとりあえず元気に生活はしていますが、サッカーは
できず、中学校最後の大会にも参加することはできず、今後の高校進学に関しても決断
できず半ばあきらめ、行きたくもない学校を受験をたぶんすることになるでしょう・・・

長女は来年中学生、今現在は学校に友人もでき楽しく通っています。しかしスイミングや
バレイ教室は無くレッスンもしない体は固くなり、もちろんリズム感をやしなう為のピアノ
でしたが、今はなにもしていません。通わせることができないし無いのです・・・・

正直な所、どうするのが子供の為になるのか、わかりません。
放射能漏れと放射線量が落ち着くまで不自由な中で我慢させて避難先で数年間過ごさせる
のがいいのか、多少の被曝は覚悟してでも友達とのつながりとか今しかできない事をさせて
ストレスのない生活を送らせてあげた方がいいのか・・・・自問自答を繰り返しています。

東電は「補償します」という言葉を繰り返すだけだけど、解決策を出してくれるわけじゃない。
僕たち親はこの悩みから解消される事はないんだと思う。